Q | 今まで、たくさん心霊スポット行ったけど、祟りも呪いもなんもなしww。八王子城跡が、関東屈指の心霊スポット?あそこがww(笑)平将門の首塚に触ると祟り?ベタベタと触ってきましたよ。軽井沢大橋の真ん中で、車を止めると災いが!余裕で停車させ、心の声で亡霊にさんざん暴言吐いてきましたが、何か?比叡山は山全体がスポット!うん、夜登って、無事下山できたよ。犬や猫は霊が視えるって言いますよね?自分は上記に上げた以外にも、いろいろな、心霊スポットに行きましたから、憑いてきてるなら、犬や猫も反応するはず。でも、そんな事態になったことはありません。結論、霊はいねぇww・・・・何か反論は? |
A | 祟り、呪いというものを具体的にはどの様なものと考えておられるのでしょうか。おそらく事故や病気、更にはツタンカーメンの呪いの伝説のように死に至るといったものだけをイメージされているのだとすれば、それはオカルト雑誌やホラー映画からの単純な受け売りに過ぎません。確かに“結果”としてそのような事態に至ることもありますが、霊的な影響力だけでは“直接”事故を引き起こしたり、病気にしたりすることは出来ません。霊が直接影響できることは“原則として”あくまでもその人間の“霊”に対してだけです。従って霊的な影響はその人間に対して憑依することで、精神的に影響し、支配することから始まります。精神的影響や支配はあくまでも自分自身の内面から浸食されるため、“本人自身”にはその影響や変化は気づきにくいことが普通です。そもそもその精神状態や性格、思考パターンといった人格的波長があう霊同士で引き合うため、本人の人格と憑依した人格とはもともと非常に似ているのです。その様な憑依現象が表面的行動に強く現れた代表的事例がコックリさんなどを行って、精神に異常を来す場合などであり、多くの精神障害の原因には霊的憑依が原因となっている場合が少なくないことがアメリカの精神科医、C.A.ウィックランドの『迷える霊との対話』には詳細に報告されています。この報告が事実であればその憑依した霊の意図に従って様々な形で被憑依者の行動や思考に影響を及ぼしていくことになります。その精神的影響から肉体的に病気になることも、運転を誤ったり、あえて危険な操作を行って事故に至らしめたりという、ある意味分かり易い結果を招くこともあるでしょう。その代表は自殺霊が再び他人の体を使って自殺のやり直しを行うというケースですが、それ以外の憑依霊はせっかく乗っ取った体をそう簡単に離れない場合の方が普通なのです。そうしてその被憑依者の生涯に深く影響し、その人の運命に様々な干渉を行い、それを通じて周囲の人間にも同じ影響を与え続けていきます。たとえばW.S.モーゼスの『霊訓』には霊や霊界、ひいては神やその霊的真理を否定、攻撃する邪霊集団の存在が明かされていますが、地縛霊となっている霊はそのような邪霊の支配下にあることが多く、したがってそのような行動に憑依した人間を掻き立てずにはいられなくするという形で悪霊に利用されることも少なくないのです。これは低級霊に操られた“霊能者”なども同じであり、その目的は霊的なものを信じさせなくするために利用されているのです。イエスがたった一人で地上に現れたように、この世の霊能者と自称するものの大多数はその様な存在なのであり、インチキ霊感商法や詐欺が横行し、ゆえに霊や神の実在を疑うことになることは当然の成り行きです。したがって現状では霊的なものを疑い、否定すること自体は仕方のないことではあります。しかし、霊は存在しないと断定する前にオカルト本やホラー映画や怪奇特集番組からではない、正しい霊的知識を多くの優れた研究や霊訓から学ぶことをお勧めします。それはいわば裁判で正しい判決を下すために、双方の言い分を精査、検討することと同じです。一方の主張(反オカルトサイトや否定的な科学者の主張)だけではなく、否定しようとしている側の主張も理解(信じるではありません)する必要もあるのではないでしょうか。それらの憑依霊は何としてでもそのような霊的真理に近付けようとはしないように仕向け、それらの知識に近づくこと自体、そして仮にそれらの知識に触れられたとしても最初の数ページを読むだけで強烈な拒絶反応という形で抵抗をうけるかもしれませんが、ともかく最後まで読み通してみることです。 |