今日は二日酔い。^^; ちょっとだるいけど頑張ります!
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平家の縁結び神社(寺)教えてください平家の縁結び神社(寺)教えてください 我が家(無宗教)は毎年成田山に参拝していますが、最近家族があるものを成田山に奉納する時、成田山の方に「お宅の名字は平家の名字だけどこちらに
Q | 靖国に関連してА級戦犯の分祀だの、私人として参拝した一政治家を批判する人の主張がよくわかりません。民俗学的に考えると、もともと神道というのは国家に刃を向けた逆賊こそを神に祀って、これ以上の祟りをなさぬよう宥め祀るのが一つの役割であったはずです。関東の守り神は『帝都物語』でおなじみ、天下の大逆賊平将門ですし、明治天皇に楯突いて西南の役を起こしたので靖国神社には絶対いれてもらえない西郷隆盛も、南洲神社という神社で神様にされています。菅原道真も崇徳上皇も祟り神として恐れられたあと、神に祀られています。生前に悪人であったかどうかなどは祭祀に何の関係も無いでしょう。むしろその死が不本意なものであり、祟りをなすに価して当然と思われる人物こそ、率先して祀って、その霊を鎮めねばならないものであるはずです。私たち現代日本人が神社にお参りに行くというのはそこに祀られている者を賛美しに行くことばかりを意味するのではありません。「どうかこれ以上暴れて、国に惨害を及ぼさぬようにお願いしますネ」とお願いに行くことも大きな理由のハズです。仮に政治家の靖国神社参拝に問題ありとするならば、それは今の日本の一政治家、まして私人の立場で参拝する人間に、国民を代表して彼らの魂鎮めをするだけの権利があるかどうか、ということであるはずです。政教分離の点で考えても論点はここ一点に絞られてしかるべきと思うのに、何で分祀だの何だの訳わからん主張が繰り返されるのでしょうか? |
A | ほぉ。なかなか面白い新しい観点ですね。感心しました。一理あると思います。ただまあ、現代人はあまり祟りとか信じていないから、あなたの言うことは歴史を良く知っている人(orオカルトマニアや寺社に勤める方、信心が深い方)には通じますが、大勢の一般人には通じないと思います。それに、江戸より後って祟りより畏敬の念をこめて、と言うほうが多いので(隆盛も鹿児島じゃ実際神みたいに尊敬されていますし)、やはり戦争でなくなった方のご遺族はいい気分はしないと思います。これは国内外を問いません(「英霊」と呼んでいる限り。祀る目的はどちらの目的かはあきらかではないでしょうか?私も、旧日本軍首脳の横暴、不遜、無能はよく知っていますので、とても尊敬できるものでもなく、いたずらに死地に追いやったものと理解しています。お墓で弔うのはともかく、神のように祀るなどやはり理解できません。当時、やむにやまれぬ国際的な事情もあるにはあったでしょう。しかし、驕って戦争を拡大し、マスコミを使ってッ区民を欺いたのは軍首脳です(与した国民側・政治家にもいくばく課の責任はあると思いますが、国民主権ではなく、天皇主権であった当時では指導者側の責任は計り知れません)。というわけで、靖国神社から分祀してほしいですね、やはり。但し、いわゆる「戦犯」は、戦勝国の一方的な裁判で裁かれた結果のものなので、戦犯としてではなく責任者として分祀すべきと思います。もう一歩踏み込めば、一般の戦死者も神として祀るのは理解できません。弔うのと祀るのは違うし、戦没慰霊施設で十分です(ただまあ、「靖国で会おう」と言われた故人の意思を尊重し、継続はあなたの言われる鎮魂の観点から必要かなとも思わなくもないですが・・・難しい)。「英霊」と言う呼称にも違和感を感じます。明治国家に反逆しようが、国を思う気持ちは会津藩だろうが西郷だろうが変わらないはずです。国(一部のトップ)に忠義を尽くせば善で祀る、反逆すれば悪で祀らないでは、愛国称揚・戦争賛美の施設と言われても仕方がありません。そして、なぜ一般の戦没者の方々は祀られていないのでしょうか?彼らも国のため我慢をし協力したはずです。国のために一緒に戦った犠牲者です。戦争が終わってからも、国と靖国の関係が不明瞭です。国の出すリストに基づいて祀るのに、一宗教法人。これ以上政治が関与せず、戦没者には安らかに眠っていただくようにするべきです。願わくば一般の方々と戦死者を差別しないような弔い方をおねがいしたいと思っております。まあ、これならいわゆる戦犯も一般戦死者も空襲でなくなった方々も同じでわかりやすいです。靖国など本来あってはならないものか、しかたなくあるものだと思っております。 |
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平の将門 (吉川英治歴史時代文庫)価格:
798円 レビュー評価:
4.0 レビュー数:4
勇猛、野蛮など様々な評価がある平将門を、悩めるひとりの人間として描いた吉川英治の逸品のひとつである。
妻子を殺害されるまでの将門は、平和を願うよき統領であるが、身内でもあり、敵でもある平良兼の兵に妻子を殺害され、鬼のような人格に変化してしまう。当時、貴族社会は所々綻びが目立ち初め、などそのような世に不満を抱き、転覆したいと思う、藤原純友や不死人者の渦に、将門も飲み込まれてしまう。
いつの世になっても、人間の業とはかくも悲しきものか、つくづく考えさせる作品である。
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