今日はよい天気♪ 元気が出ます! テンションあげて書いちゃお
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お堂の下のお地蔵様先日京都の六道珍皇寺を参拝しました。 あの世とこの世が交わるとされる六道の辻にあり 開基は小野篁とも伝わっています。 小野篁といえば、昼は宮中に、夜は閻魔庁に仕えたという伝説.
Q | 知盛と教経の戦いぶり平家物語を読むと、平教経は勇猛果敢な武士として描かれています。義経を追いかけ回したというエピソードもそうですし、敵将を道連れにしての自害もあっぱれです。一方、平知盛の方は知的な指揮官として描かれ、戦ったエピソードはあんまりありません。しかし能や歌舞伎では、それが逆転しています。船弁慶で義経に襲いかかるのは知盛の怨霊ですし、碇知盛も同じ。(こないだの大河ドラマなんか、教経自体が登場しませんでしたし)平家物語を題材にした能はけっこうあり、敦盛や知章、経正なんかは仕舞でもよく演じられますが教経はないですよね。著名な武将なのに、平家物語以外ではあまり登場しない気がします。この逆転現象は、どこで起こったんでしょうか。やはり知盛が総大将だったため、総大将同士を戦わせた方が分かりやすかったんでしょうか。 |
A | 私も、この前の大河に教経が出てこないはけっこうイライラしていました。これは勝手な想像なのですが、壇ノ浦のクライマックスのシーンで知盛と教経がいると主題があいまいになってしまうために削られてしまったのだと思っています。ただ、平家物語と史実ではちょっと違うということも影響しているようです。簡単に言ってしまうと、一の谷以降の生存についてはあやふやなのです。しかし、史実云々は置いておいても、壇ノ浦には教経がいてほしいです。 |
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